Nov 17, 2011

大菩薩峠

ポスト @ 22:55:28 | 登山
11月12日(土)山梨県の山、大菩薩峠から大菩薩嶺の登山をしました。 
「大菩薩峠」は中里介山の小説で有名なので、この登山に誘って頂いた 時どんな山なのか峠なのかと興味がわきました。
ネットで調べると、大菩薩峠から尾根を進んだ先に大菩薩嶺があり、2056mという高い山なので身が引き締まる思いで出かけました。
朝、中津川市役所5時出発。山の会の仲間に入れていただいて、マイクロバスにて大菩薩登山口へと向かいました。
塩山の少し先から山道に入り、かなり上まで県道で上がることができます。
途中、紅葉は赤や黄色が鮮やかなところがありきれいでした。
高くなるにつれ唐松が紅葉して黄色を帯びた茶色になっていて、
唐松の葉が落ちて枝から向こうの山の景色が見えて
見晴しのよい登りが続きました。
 9時に上日川峠(かみにっかわとうげ)のパーキングにバスを駐車し、峠を目指して出発しました。
登山道は、最初は土の道で落ち葉が敷き詰められ歩きやすかったです。
 天気もまずまずで、少し歩き始めたらすぐに暑くなり、上着と中のシャツを1枚脱いでやっとちょうどよくなりました。
登山道は歩きやすく自然林の間を進み、だんだん熊笹の生い茂る道になっていきます。
福ちゃん荘という山小屋でトイレ休憩し、さらに上を目指しました。
 登山道は石や岩が目立ち始め、一気に大菩薩峠へと登りました。
登りはじめてから、1時間15分で大菩薩峠に到着しました。1897m
 ここからの眺めは素晴らしく、富士山と南アルプス、そして手前には大菩薩湖が一望できます。

今日は、曇りで山が見えるか心配でしたが、ちょうど峠から山頂に向かい始めて眺めのいいポイントに来た時に
雲の晴れ間から雄大な山々を望むことができました。山々は蒼く、山の連なりを雲が下から支えているといった風情でした。
何かご褒美をもらったような嬉しい気持ちになりました。

 賽の河原を通って、雷岩で昼食タイムとなりました。(12時)南アルプスを望みながらの昼食タイム。
2000mならではの澄み切った空気を胸いっぱいに吸って、おいしい昼食でした。
 大菩薩嶺は木が茂って見晴しもよくないし、ただ「大菩薩嶺2056m」と書かれた碑があるのみです。
 雷岩まで戻って、福ちゃん荘を目指して唐松尾根を下りました。
岩がごろごろして険しい道で、
岩に足がとられたり石車に乗ったり歩きにくい道が続いていました。
 福ちゃん荘を経て、上日川峠まで戻りました。
  バスで登山口に戻り、大菩薩の湯にて汗を流しました。なめらかでしっとりとした肌触りのいい温泉でした。
 大菩薩峠からの富士山と南アルプスの雄大な眺めは、しっかりまぶたに焼き付きました。

Nov 02, 2011

新町宿から深谷

ポスト @ 20:56:34 | 中山道
新町宿〜本庄宿〜深谷
平成23年10月30日(日)
34900歩、20kmを歩きました。
昨日の続きの新町宿から歩きました。
新町宿には行在所公園があり、公園の奥に行在所の建物が残されていました。
ここは、前回中山道を歩いた時に休憩したところだったと思い出しました。
 しばらく進むと、神流川の両岸にあったという見透し灯篭(常夜燈)が建っていました。
その先には神流川古戦場跡の碑もあり、本能寺の変直後の合戦があったとの
説明の碑があり歴史の跡を感じました。
神流川の先に、勅使河原という地名があり、TVで中山道を歩いた勅使川原さんと同じでした。
何か、名前の由来があるのでしょうか。
一里塚跡や庚申塔などを見ながら進むと、泪橋跡の碑や浅間山古墳がありました。
しばらく行くと、金鑚神社があり、11月2、3日の祭りの準備をしていました。
境内には、七五三のお参りの家族が何組もお参りされていました。
着物を着て着飾った子供の姿を見ると、家の子供たちのもう15年も前の記憶がよみがえってきます。
本庄宿には田村本陣門が残されていました。

今は、歴史資料館に移築されていますが、堂々とした立派な門でした。
歴史資料館の建物は文明開化の遺産とされる旧本庄警察署で、
中に、古墳から発掘された埴輪や土器・警察署や戦争の時の当時の資料などが展示されていました。
本庄宿は人口も多く、中山道最大の宿とされています。庚申塔が幾つか残されていました。
そこから先、岡部へ向かって旧道を歩くと、国道で道が寸断されているところに行き当たりました。
旧道が続いているようですが、道路に柵がされてまっすぐに渡ることができません。
そこで少し迂回して国道を渡り、旧道へと戻りました。
道の駅おかべで昼食をとりました。
その先は、国道を歩くことになり、単調な平らな道なので、余計に足が疲れるような気がしました。
深谷まであと4km、3時までに深谷駅に到着しようと、最後の力を出して歩き続けました。
深谷駅は煉瓦造りの立派な建物でした。駅で電車を待っていると、急に雨が降り出しました。

雨にあうこともなく、無事に予定通り到着できよかったです。

安中から新町

ポスト @ 9:12:15 | 中山道
安中〜板鼻宿〜高崎宿〜倉賀野宿〜新町宿
平成23年10月29日(土)
37000歩、21kmを歩きました。
5月初旬に歩いて以来、半年ぶりの中山道ウォーキングで、久しぶりで待ち遠しい気持ちでした。
朝名古屋行きの始発に乗って東京経由で高崎へ。
そこから前回の安中まで行きましたが、そこまでたどり着くのが遠くて大変でした。
10時34分安中に到着、駅横のパン屋さんで軽く食べ、出発は11時近くなりました。
安中から碓氷川にかかる鷹ノ巣橋を渡り、板鼻宿へ。
板鼻宿は、公民館の奥に和宮資料館があり、和宮が泊まられた本陣の書院が残されていました。
しかし、平日のみの公開ということで、中を見ることができず残念でした。
街道には、双体道祖神が幾つかありました。
高崎宿へ向かう途中に、碓氷川を渡ると達磨が奉納される珍しいお寺の少林山達磨寺がありました。
川の向こうということで寄らなかったのですが、いつか行ってみたいと思いました。
黒板塀に囲まれた上豊岡茶屋本陣は、板鼻宿と高崎宿の間に設けられ、
参勤交代や上級武士の食事の折に用いられた休憩施設とのことです。
上段の間は書院造りで作られ、銀の背景に岩絵の具で竹が描かれた襖や欄間も手の込んだ立派なものでした。

さすがダルマの里、上豊岡のダルマ工場のダルマです。

高崎宿は井伊直政が城を構えた城下町で、本陣も脇本陣も置かれていませんでした。
そこから倉賀野宿までは、開発された駅近くの商店街や国道沿いを歩くので、
街道の面影を感じるような史跡などは残っていませんでした。
倉賀野宿には脇本陣が二つと本陣跡がありました。
倉賀野宿の端には、常夜灯と道しるべ、そして閻魔堂があります。
日光例幣使道の分岐点、朝廷の使者が中山道から別れ、
日光へ詣でた倉賀野追分の碑がありました。

そこから烏川にかかる柳瀬橋を渡り、一段高くなった細い道、サイクリングロードへ上がって歩きました。
車が通らないと思っていたら、一台の軽トラが向かってきたのでびっくり。
新町宿には小林本陣跡がありました。
新町に近づくと五時頃になり、後は暗くなって本や地図も見えない程になってしまいました。
新町駅から、高崎駅へ戻り本日の宿へ。

Oct 03, 2011

甲州街道完全踏破

ポスト @ 16:05:27 | 甲州街道
9月24日(土)の続きです。
上諏訪へは、坂を上って、高台を歩きます。坂の入り口に温泉寺や先宮神社があります。
諏訪湖が眼下に見られて、景色のいい場所です。いよいよ諏訪湖です。

下諏訪宿のゴールもあとわずか。
上諏訪宿は、諏訪大社、上社(かみしゃ)の門前町で、御柱祭の「木落し」でも有名です。
諏訪大社は、国内の最も古い神社の一つで、諏訪湖の周りに上社(本宮と前宮)、
下社(春宮と秋宮)の四社あり、社殿の四隅に御柱と呼ばれる四本の柱が立っています。
 七年に一度の御柱祭には、山からひかれてきた御神木を山の上から落とすという「木落し」が行われ、
勇壮な祭りの激しさを見せてくれます。
 ここは温泉の町で、街道を歩いていても、共同温泉が幾つも作られていて、近所の人が
気軽に立ち寄れるようになっています。
 また、水のおいしいところで、霧ケ峰からの豊富な伏流水と諏訪のお米で酒蔵が立ち並んでいます。
「真澄」「麗人」「舞姫」「本金」「横笛」の蔵元があり、街道沿いを飲み歩くこともできます。
お酒の試飲も楽しみにしていましたが、昼の一時ころ通りかかり、おなかが空いてそこを通り過ぎて
まずは腹ごしらえをしてと思っているうちに通り過ぎてしまいました。
 甲州街道最後の一里塚「富部の一里塚跡」の碑を通り過ぎ、諏訪大社下社秋宮をお参りしました。
本殿は修復中ですが、立派な神社で幣拝殿・左右片拝殿は国の重要文化財で、彫刻もすばしいです。
境内の四方には、17mもある御柱が立てられています。
 下諏訪宿は、甲州街道最後の宿で、中山道との合流点になっています。
その合流点が下諏訪追分で石の道標に「甲州道中終点 右江戸へ五十三里十一町 正面京都へ
七十七里三町」とあります。

ゴール地点に立って、ついに歩き終えたという満足感と安堵感が湧いてきました。
東海道を歩き終えた時は、満足感とともになんだか寂しいような気持ちになったが、今回は、まだ中山道の復路を歩いている途中で続きがあるということもあって、寂しい気持ちは湧いてきませんでした。
しかし、平成21年9月から2年間の13回にわたって、甲州街道を日本橋から下諏訪目指して
歩いてきたその道程が、一回一回走馬灯のように廻ってきました。
 家に帰ったら、もう一度甲州街道の記録を読みながら、街道の歴史の跡と自然の素晴らしさ、そして人との触れ合いを辿ってみたいと思っています。

金沢宿から上諏訪宿

ポスト @ 16:01:15 | 甲州街道
平成23年9月24日(土)
昨日の続き、青柳駅の先、金沢宿から歩きました。
今日は、金沢宿 − 上諏訪宿 − 下諏訪宿 と歩きます。
金沢宿は、本陣跡がある他、小松三郎左衛門のはりつけ場所があります。
小松三郎左衛門は本陣の当主で、金沢宿所有の土地を茅野村のものと裁決した諏訪藩に抗議・直訴しましたが、
奉行所は任務を怠ったとはりつけにされたとのことです。
茅野に入ると、江戸から50里の一里塚があります。
秋葉山常夜灯石仏群の横を通り、坂を上りながら歩きます。
その先に、貧乏神神社とおかめ神社があります。
貧乏神神社は、丸井味噌工場(丸井伊藤商店)の中にあります。

ここは、貧乏神を拝んではいけないそうです。まず、貧乏神の御神体を棒でたたきます。
次に足で蹴ります。最後は、節分の時のように、炒った豆を投げつけながら、「こんちくしょうめ」と言います。
次におかめ神社にお参りして、大きなおかめの顔のほほを撫でます。

おかめ神社の近くには、宮川寒天蔵があります。
三階建ての板の蔵で、元は養蚕に使っていたものが、
養蚕業が振るわなくなり、寒天を保存する蔵として、この地に移築され、
今は、宮川「くらの会」の有志で改装し、御柱祭の貴重な資料を保存したり、演奏会を開いたりと利用されています。
また、この蔵の二階には、日本彫刻界の巨匠、彫刻家矢崎虎夫氏の彫刻の石膏の型が置かれていました。
本物のブロンズ像はニューヨークの美術館にありますが、その本物の石膏型であっても、迫力があり
圧倒されました。
この茅野には、蔵に左官がこてで描いた「こて絵」が多く見られます。
街道沿いにも、蔵造りの民家が建ち並び、幾つものこて絵を探すことができました。
JR茅野駅前には諏訪神社の大きな鳥居があります。その先には神戸の道標があり、
「右江戸道 左山浦道」とあります。
神戸の道標を過ぎると、諏訪市に入ります。
ここにも珍しい神社があって、足長神社と手長神社です。
足長神社は、ここ上諏訪宿の手前にあり、手長神社は、さらに先の上諏訪駅の近くにあります。
足長神は脚が10m、手長神は手が7mもあるそうです。
足長神が手長神をおんぶして諏訪湖を歩き回り、手長神が手を伸ばして魚をとれば、
たちどころにたくさんの魚が取れるそうです。
この話は、昔話として、古くから伝えられています。
足長神社の先から上諏訪宿に入ります。

教来石宿と蔦木宿

ポスト @ 15:56:53 | 甲州街道
平成23年9月23日(金)
中央線を小淵沢で降り、タクシーで前回のゴール地点の松原からスタート。
教来石宿 − 蔦木宿 を通って、JR青柳駅まで歩きました。35000歩19kmでした。
松原は、今日は地元のお祭りらしく、しめ縄が張られ、祭りの提灯が出ていました。
その先の教来石(きょらいし)宿は、甲州最後の宿で、来福寺に教来石という巨石があります。
日本武尊(やまとたけるのみこと)を祀った石で、土地の人は教来石(へてこいし)と呼んでいるそうです。
教来石宿の中ほどに諏訪神社があります。
 諏訪神社の本殿の中の身舎壁面には、「猩々と酒壺」「唐獅子」などの彫り物が施されています。
これは、江戸後期のもので、立川和四郎富昌の作とのことです。壁面の四方に彫刻が施され、見事です。
 集落の北のはずれに「山口の関所跡」があります。
甲州と信州の境目の番所で、信州口を見張った番所です。
釜無川の橋は、新国界橋で、ここで甲州ともお別れです。橋の手前に山口素堂の句碑があります。
「目に青葉 山ほととぎす 初かつお」の句が書かれています。
ここから旧道は、国界橋へ向かう山際の土の道に入りますが、 
旧道の出口のところに猿除けのネットが張り巡らされていて、高圧電流が流れているため、通るのをあきらめました。

その先の道の駅「信州蔦木宿」で昼食となりました。
坂を下りて、桝形をぬけると蔦木宿に入ります。
蔦木宿の家々には屋号の表札がかけられ、江戸の街道の面影があります。
蔦木宿には本陣大阪屋には表門が残されていますが、重厚な立派な門です。
瀬沢大橋を渡って、そこから坂道の上りになりますが、坂がかなりきつくて息も上がってきました。
坂の途中に瀬沢の道標があり、上りきったところが甲州街道の一番高いところで、965mあります。
また、道祖神や馬頭観音が数多く残っていました。
もう球の道祖神はなく、男女や一人のお地蔵様が彫られた道祖神です。
その先には、富士見公園がありますが、明治44年に伊藤左千夫の設計で作られた公園で、
広い公園内には、左千夫の歌碑・島木赤彦・斉藤茂吉・芭蕉の歌碑などが幾つも作られています。
当時のアララギ派の歌人がこの地に集まって歌の会を開いたそうです。
 御射山神戸(みさやまごうど)の一里塚は甲州街道の中でも立派な塚で、南に欅・北に榎が植えられています。

 一里塚から1km進むと、青柳の集落に出て、青柳の駅まで歩きました。

Sep 21, 2011

台ヶ原宿

ポスト @ 14:47:17 | 甲州街道
平成23年9月11日(日)
穴山から台ヶ原宿、白州サントリー蒸溜所まで16.6?を歩きました。
今日も朝から暑く、日影もありません。9月とはいえ日差しが強く、日傘をさしながら歩きました。
穴山橋を渡ると左に背の高い松並木がある午頭島公園(ごずじまこうえん)がありました。
その先、上円井(かみつぶらい)の街並みに入ります。
上円井の集落は、土蔵造りの家や、手入れの行き届いた庭が多くありました。
馬頭観音の上の道を上がったところに、万休院があります。
庭が広く立派なお寺で、ここに何年か前までは「舞鶴の松」がありましたが、松くい虫にやられて、
今はなくなってしまいました。写真で見ると、枝振りの立派な松なので、残念に思います。
その先、七里塚の碑があります。七里とは甲府から七里ということです。
旧道に入る入り口に、古道入り口の石碑があります。

人がやっと通れる細い道で、草の道を進むと、ぶどう棚があります。
ぶどう棚の間を通って田んぼのあぜ道を進むと、古道の出口になっています。
そこから右に入ると、台ヶ原宿になります。
台ヶ原宿は、旧道の両側に古い家並みが残っていて、宿場が栄えたころの雰囲気が感じられます。
本陣跡、造り酒屋の七賢酒造、和菓子屋の金精軒、旅籠のつるや旅館などが残っていました。

ことに七賢は、本陣ではありませんが、明治天皇の行在所とされた立派な建物で、高遠城主から贈られた
宮大工立川和四郎作の「竹林の七賢」の欄間が今も残っています。
七賢の横にある臺眠でランチをいただきました。
 その先は、宿場を越えて下りになり、田園地区を進むと「白須松林址の碑」があります。
さらに2キロほど歩いたところに、「サントリー白州工場」があり、
工場見学ツアーに参加しました。

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