佐屋街道 東海道の宮(熱田)宿と桑名宿との間は、伊勢湾を海路で行く七里の渡しを利用しなければならなかったが、天候次第で船が出ない日もあり、船が出ても安全とは言えない場合もあった。また、船酔いをする人や、犯罪に巻き込まれやすい女性や子供の旅人からも七里の渡しは敬遠され、七里の渡しの迂回路として利用されたのが佐屋街道。
熱田から、岩塚宿、万場宿、神守宿を経て佐屋宿へ至る陸路が六里。佐屋宿から佐屋川を船で桑名へ下る水路が三里の路だった。水路の部分は「三里の渡し」と呼ばれた。
  全行程マップ
2009年9月26日(土)

 ウォーキングマップ
  26.1km
東海道分岐点〜金山〜岩塚宿〜
 万場宿〜神守宿〜佐屋の三里の渡し跡


神宮前駅よりスタート。東海道との分岐点、ほうろく地蔵より佐屋街道。
分岐点に道標がある。道標には次のように刻まれている。
  北 さや つしま、みのち
  東 江戸かいとう
  南 京いせ七里の渡し
国道19号を北上し金山橋南で西へ。この交差点には道標がある。
尾頭橋を渡り、新幹線ガード、中川運河、烏森駅、庄内川万場大橋と進み、大治町へ。途中五女子町、歩道には佐屋街道のタイルが所々にあり迷わない。七宝町で新川砂子橋を渡ったところの蕎麦や(どんきゅう)で昼食。日差しが強く影を選んで進む。二女子町と面白い地名。五女子町には一里塚跡。
神守の一里塚跡は昔の塚が残っている。日光川を渡り津島市へ。市役所前より一本南の小路を進むと津島街道埋田追分の道標。津島街道と佐屋街道がわかれた所だが、佐屋街道の道は残っていない。
少し先の道を南に曲がる。強い日差しのためコメダ珈琲で小休止。
その先の愛宕神社への曲がり角は、モバイルナビのおかげで間違えなかったが、なければそのまま行き過ぎるところだった。
名鉄尾西線の踏切を渡り内佐屋、須衣の交差点を越えると佐屋宿。佐屋船場の石碑に佐屋三里渡跡の石碑。今は川もなく渡しの名残りはない。
佐屋駅ではまさに電車が出るところ。駅員さんが電車を止めてくれて間に合う。尾西線佐屋から西尾線西尾までの電車。ちょっと感激。(尾西発西尾行なので)

 東海道との分岐点の道標

 三里の渡しの石碑
2010年1月24日(日)

 ウォーキングマップ
  15.2km
佐屋駅〜三里の渡し跡〜弥富〜長島
        〜七里の渡し跡〜桑名駅


佐屋からの三里の渡しを陸路で歩く。かつては船で渡った名残りは残っていない。三里の渡し跡から弥富へ南下。JRと近鉄のガードをくぐり1号線へ。
弥富の木曽川の近くにはふたつやの渡しの跡の道標。尾張大橋で木曽川を渡り桑名市長島町へ。長島城大手門を見て長島川へ。ここに道標。
長良川へ出て、河口堰を通って尾張大橋で揖斐川を渡る。揖斐川沿いに堤防を歩いて七里の渡し跡に到着。風もなく暖かい陽射しの中のウォーキング。

 佐屋船場の石碑
  美濃路 東の東海道と西の中山道を結ぶ街道。
熱田の東海道の分岐点から金山までは佐屋街道。
名古屋、清州、稲葉、萩原、起、墨俣、大垣の7宿を経由して垂井で中山道に
合流する58kmの道。
   全行程マップ
2009年10月24日(土)

 ウォーキングマップ
  15.4km
金山駅〜札の辻〜清州宿〜清州駅

金山で昼食後美濃路ウォーキングをスタート。佐屋街道との分かれ道より北上、伝馬会所札の辻で下街道の起点に到達。これで街道がみんな繋がったことになる。
四間道で屋根神様を見学。城西で西に向かう。押切商店街、杁西など町ごとに美濃路の幟が立っている。庄内川を渡ると二ツ杁、ウォーキングで何度も歩いたところ。
新川、須ヶ口をこえ五条川を五条橋で渡り清洲宿へ。清涼寺で右折し本陣跡を通り清洲駅へ。足のまめをごまかしながらのウォーキングで時速4km強へスピードダウンしたが何とか清洲駅までゴールできた。
午前中は、JRさわやかウォーキングの木曽川駅から尾張一宮駅までの14.6kmを歩いたため、トータル30km歩いたことになり、歩数は5万歩を越えた。

 四間道の屋根神様

 清州宿本陣跡
2009年10月31日(土)

 ウォーキングマップ
  12.0km
清州駅〜四ツ屋追分〜稲葉宿〜萩原駅

清洲駅に移動し美濃路ウォーキング。北市場美濃路公園には美濃路の由来の案内板。長光寺には地名由来の六角堂。門前には四ツ家追分の道標。岐阜街道との分岐点。
JRの踏切を越え井之口団地に沿って北西へ左折。三菱電機のエレベータ試験塔を見ながら進み、国府宮神社一の鳥居で名鉄本線の踏み切りをわたる。
稲葉の一里塚をすぎると稲葉宿。稲沢市は稲葉と小沢の合併で名づけられたとのこと。旧家が残っており昔の宿場の雰囲気を残す。
さらに北西に進み高木一里塚跡を過ぎ名鉄尾西線の踏切を越えると萩原宿。宿場の手前で線路に沿って萩原駅へ。10月4日にハイキングしたところ。

 清州宿の旧家
2009年12月12日(土)

 ウォーキングマップ
  24.8km
萩原駅〜萩原宿〜起宿〜墨俣宿
           〜大垣宿〜大垣駅


当初は墨俣までの予定で、次回に垂水にゴールとしていたが、大垣まで歩き次回は関ヶ原までとし、中山道唯一西に向かっていないコースを歩くことに変更。
雨上がりの上天気で12月とは思えない暖かさ。カメラ用のベストを着たが途中暑くてジャンパーを脱いで歩いた。
全長約25kmのコース。木曽川、長良川、揖斐川を一度に渡ったり、宿場も萩原宿、起宿、墨俣宿、大垣宿と四宿を巡る変化の多いコース。
一里塚跡も、富田一里塚、不破一色・坂丸一里塚跡、東小熊一里塚跡、東結一里塚跡、三塚一里塚跡と5つ、中でも富田一里塚は東西両側に残っており立派。
さらに起の町から結の町へとつながるなど面白い。墨俣宿や結神社のあたりは健康リゾートふれあい街道の墨俣町、安八町で歩いたコース。

 起渡船場跡

 結神社
2009年12月26日(土)

 ウォーキングマップ
  10.7km
大垣駅〜垂井追分

美濃路のゴールとともに、中山道で唯一西から東へ歩いた関ヶ原・垂井間を西に向かって歩き中山道の日本橋〜京都を完歩させる企画。
大垣の街中は何回か歩いているが美濃路との関連を確認する。大垣城東総門跡より美濃路へ入り、右左と曲がり、脇本陣跡・本町道標を見る。
柿羊羹の老舗を通り問屋場跡へ。ここは初めて美濃路を意識させられたところ。本陣跡を通り船町港跡へ。住吉燈台や奥の細道むすびの地などが残る。
船町を西に向かい、近鉄養老線の踏切を渡り旧道を左に折れて杭瀬川を渡ると塩田の常夜燈。立派な常夜燈が残っている。
久徳一里塚を越えた辺りから旧道は自動車道でつぶされ残っていない。大谷川を渡って再び旧道に入ると昔の街道の雰囲気のある蛇行した道。
国道21号線より右に折れ、東海道線の踏切を渡ると垂井の松並木。ここもさわやかウォーキングで歩いたところ、垂井追分で中山道と合流しゴール。

 大垣 柿羊羹の老舗

 垂井の追分(左 中山道、右 美濃路)
  木曽街道 尾張藩が中山道への近道として独自に作った道。名古屋城下(東片端)から中山道(今渡)を結ぶ道。下街道と対比して「上街道」とも呼ばれていた。    全行程マップ(木曽街道と稲置街道)
2010年1月30日(土)

 ウォーキングマップ
  21.5km
札の辻〜東片端〜小牧宿〜楽田駅

名古屋城から今渡の中山道までの木曽街道を歩く。別名上街道、途中の追分までは鵜沼宿へ抜ける稲置街道と重なる。北区、小牧市、犬山市と北上。
久屋大通り駅から泉1丁目の下街道との辻に出て東片端から街道スタート。ウィルあいち、市政資料館から清水橋東より清水口へ。
白壁、清水、志賀、安井と北区を抜けて、おもかげ橋で矢田川と庄内川を渡る。幹線から一つ脇の道でなんとなく旧道の雰囲気も残る。
楠味鋺を抜け県道名古屋犬山線に出る。ここからは名古屋空港東を小牧へ向かって県道を行く。場所は味美だが単調で味気ない道。
牛山駅手前でわき道へ入るが、しばらく行くと工事中で通れない。道自体をなくす工事と思われる。
計算どおり小牧駅前でお昼。ラピオ小牧(スーパー)で昼食(カツカレーうどん)。30分の休憩後スタート。直後に腹痛。ファミマに飛び込む。
田縣神社に参拝し楽田駅にゴール。帰りは小牧線で犬山駅に出て広見線で新可児駅へ。太多線で多治見経由で恵那へ。
3月の陽気で途中からはセーターを脱いでウォーキング。風もなく上々の天気。

 田縣神社
2010年1月31日(日)

 ウォーキングマップ
  17.2km
楽田駅〜楽田追分〜禅寺野宿
            〜土田宿〜今渡


車で可児御嵩ICより日本ライン今渡駅へ。バローの駐車場に停めたが駅横に駐車場がありそちらへ移動。名鉄で犬山駅経由楽田駅へ。帽子を置き忘れ。
前日の続きを今渡まで歩く。曇り空だが風はなくまずまずの天気。楽田駅から木曽街道へ出てすぐに追分。左は稲置街道で鵜沼宿へつながる。今渡へは右の道。羽黒から中電の変電所を越え新郷瀬川の合戦橋を渡る。前原の天道宮神明社脇の老人憩の家でトレを借りる。
愛知用水の脇をとおり、名鉄広見線へ折り踏切を渡ると禅寺野宿(地名は善師野)。一里塚跡などが残る。ここから東海自然歩道の山道。
大洞池へ出て石捨峠を恵那方面へ。ここは名鉄ウォーキングで歩いた道。峠を越えた所の道標で思い出す。その先の両側はゴルフ場。
ライトが回転している店が見えてきて、宏子は即座に喫茶店と断定。こんな人通りの無い所に喫茶店があるかなと思ったが、本当に喫茶店(い〜なカフェ)。
定食を食べる(いわしの煮付け、厚揚げの炒め物など)。客にゴルフ帰りの人。国道41号をくぐり土田(どた)宿へ。本陣跡などが残る。
KYB(旧カヤバ工業)の工場前をとおり今渡の渡し跡へ。中山道で見た渡し跡の案内板はなく、替わりに太田橋の袂に渡し場跡の広場ができている。

 楽田の追分(左 稲置街道、右 木曽街道)

 木曽街道一里塚旧跡(善師野)
  稲置街道 稲置街道(いなぎかいどう)は、江戸時代に名古屋城下と犬山城下を結んだ道。
名古屋から楽田追分までは木曽街道とルートが重複している。犬山城下を過ぎてからは木曽川を渡って中山道の鵜沼宿に至る。
   全行程マップ(木曽街道と稲置街道)
2010年2月7日(日)

 ウォーキングマップ
  11.5km
楽田駅〜楽田追分〜犬山宿
      〜中山道鵜沼宿〜新鵜沼駅


晴れているが前日までの寒波の名残りで空気がキリッと冷たい。大曽根経由で上飯田から名鉄小牧線で楽田へ。追分を左に進む。
名鉄犬山線の犬山口駅を越えると犬山城へ向かう本町通り。昔の城下町の雰囲気作りに再開発された通り。以前に犬山城の帰りに歩いたところ。
札の辻で右折、県道を越えたところに中山道一里塚遺跡。犬山公園駅の脇を抜けて、ツインブリッジで木曽川を渡る。
大安寺川の土手を北上し高山線の踏切と国道21号線を渡り大安寺大橋で中山道に合流。川の両端に常夜燈。中山道を東に歩き鵜沼駅へ。
間一髪で多治見行きの電車に間に合わず、新鵜沼駅より名鉄犬山線で名古屋に出て帰る。名古屋の重の井でタヌキ蕎麦。
電車の便の関係で大回りをしたが、結果的には名鉄小牧線と犬山線を乗りつくすことができ満足。

 犬山城への本町通り

 中山道(正面)と合流
  伊勢街道 日永の追分で東海道を離れ、鈴鹿、津、松阪を経て伊勢神宮外宮・内宮に至る街道。    全行程マップ
2010年2月27日(土)

 ウォーキングマップ
  19.4km
追分駅〜日永の追分〜神戸宿
          〜白子宿〜千里駅


東海道との分岐、日永の追分より伊勢街道をスタート。雨の予報がすっかり晴れて春の天気。風と花粉という早春のウォーキング。
追分より南下、内部川を渡り河原田へ。関西本線の踏切より線路沿いに歩き鈴鹿川を高岡橋で渡る。古代条里制の面影が残る田の中の道を進む。
神戸の見付より神戸宿へ。札の辻で左折、近鉄鈴鹿線の鈴鹿市駅前を通り伊勢鉄道の鈴鹿駅下へ。常夜燈や道標があちこちに残っている。
玉垣町からフジクラ鈴鹿工場の間を抜け、近鉄名古屋線の踏切を渡ると北の端の地蔵堂。パンフレットを片手にウォーキングしている人が多数。白子のスタンプラリーウォーキングが開催されていた。白子宿入口の江島本町のめんくいくんで昼食。ネットでも紹介されていた名物うどん屋。
丁度昼時で満員。牛すじカレーうどんのめんくいうどんを注文。伊勢型紙資料館を見学し、連子格子の家が旧道の雰囲気を残す。
鼓ヶ浦より中ノ川を渡り、磯山を抜けて近鉄千里駅にゴール。

 日永の追分

 北の端の地蔵堂
2010年3月13日(土)

 ウォーキングマップ
千里駅〜上野宿〜津宿
      〜雲出(くもず)宿〜六軒駅


雲が厚くどんよりした天気だが、寒くなく暑くなく、陽射しも弱く、歩くには最適。千里駅をスタート。国道23号線に沿った旧道を進む。
切妻の連子格子の家や虫籠窓の家など旧家が残り、くねくねした道が旧道の雰囲気たっぷり。栗真町屋の巡礼道との分岐点には常夜燈と名残松と道標。
4たび国道と合流したところが三重大学前。志登茂川手前で旧道に入り江戸橋を渡り津の街中へ入る。酢屋阿部家などここにも旧家が並ぶ。津駅前を抜け四天王寺に参拝。安濃川を渡り大門のアーケード商店街を進み道標のある交差点を右折。岩田川を渡った先のラーメン屋で昼食。ネットに載っていた「ぺりかんのらぁめん」でお勧めの「もっともっとうまいらぁめんとジューシー肉餃子」。卵とじのかかった細麺がおいしい。
伊勢街道の昼食は隠れた人気店めぐりみたいな感じで充実。丁度中間地点での昼食休憩。
閻魔堂の角で右折、伊勢街道の旧道は所々に鉤形があったり常夜燈がたくさん残っている。香良洲道分岐点をこえ紀勢本線の踏切を渡る。
高茶屋駅前を通り、再び紀勢本線の踏切を渡り雲出川へ。旧道の通っていた橋はなく新しい雲出橋へ迂回。橋の両端には常夜燈と伊勢街道の案内板。
ここからは松阪市。北海道名付け親の松浦武四郎の生家など妻入りの家や、家ごとに屋号がかかるなど松阪の特徴か?
奈良街道との分岐点にある道標は伊勢街道最大のもの。小津の一里塚跡などを見て六軒駅へゴール。
丁度停まっていた亀山行きの鈍行に乗り、津で快速みえに乗り換えればよかったのに、乗継ぎが良く分からず松阪へ出て近鉄急行で名古屋へ。

 虫籠窓・連子格子の旧家


 松浦武四郎の生家
2010年5月29日(土)

 ウォーキングマップ
  32.0km
六軒駅〜松阪宿〜小俣宿
  〜伊勢神宮外宮〜伊勢神宮内宮


松阪で牛肉を食べるのはあきらめ、一挙に伊勢神宮まで歩き伊勢街道の踏破を目指す。距離も32kmと過去最長にチャレンジ。行けるとこまで行くことに。
恵那の一番電車(5:48発)で出発、名古屋から津までは近鉄特急、津からJR紀勢本線で六軒へ(8:28着)。六軒から松阪市内まではさわやかウォーキングで歩いたコース。
三渡川を渡り市場庄の街道には、切妻・妻入の旧家に家ごとに屋号の看板がかかり、また注連飾りが一年中かかっていて伊勢街道独特の雰囲気を残す。
松阪大橋を渡ると松阪商人の館。トイレを借りるため中にはいるが、説明のおじさんが待ち構えていた。たっぷり60分ほど説明するというのを、伊勢神宮まで歩くのでと断ったが、伊勢神宮までは25kmしかないから大丈夫だとはげまされた。必死に逃げだし先を進む。徳和駅を過ぎ、麦畑や田に小鳥の鳴き声ののどかな雰囲気に所々に格子の旧家や道標。
しかし車の通りも結構多く、まっすぐで単調な道が明野駅まで10km以上続く。店も全くなく昼食を食べるところも買うところもない。斎宮駅前の店もパンやおにぎりは平日のみ。
ようやく明野駅前に喫茶店を見つけ昼食(ピザトースト、コーヒー)。客は一人もない寂れた喫茶店だがオアシス。宮川駅付近には旧紀州藩の高札場跡や鳥羽藩の本陣跡。
桜の渡しのあった宮川を渡ると伊勢の町へ。外宮を参拝し内宮へ。さわやかウォーキングで歩いた道を進みおはらい町通りをきゅうりを食べながら歩き内宮五十鈴川の橋にゴール。
途中15km付近から足が重くなり、また単調なコースでつらかったがなんとか歩ききった。帰りは快速みえで名古屋へ。

 市場庄の妻入格子戸の街並み

 おはらい横丁
  津島街道 名古屋と津島を結ぶ街道で、美濃路・新川橋西詰で別れ津島に至る約14qの道。
「津島参らにゃ片参り」と言われ、伊勢参りの際には津島神社へ参拝するのが常で、賑わった。
   全行程マップ
2011年2月19日(土)

 ウォーキングマップ
  19.0km
二ツ杁駅〜津島街道分岐点
 〜甚目寺観音〜勝幡〜津島神社〜津島駅


さわやかウォーキングは木曽川町の以前歩いたコースで魅力がないため、名古屋近郊の街道歩きとして津島街道を歩く。佐屋街道の北を進む道のため上街道とも呼ばれた道。
名鉄二ツ杁駅からスタート。美濃路を進み新川橋西詰で分岐。分岐点には道標や案内板。赤い門の長谷院を見学し五条川へ。ここまで来てさわやかウォーキングで歩いた道と思い出す。五条川を渡るとあま市甚目寺町。甚目寺観音にお参りし西進。名鉄津島線と平行に、七宝、木田、青塚と進む。五八悪水治水記念碑は水騒動を治めた記念碑。
勝幡町で直角に右折。門に津島街道の道標。日光川を渡ってからは領内川に沿って進む。
名鉄尾西線の踏切を越え津島市へ。上街道本町交差路で市神社を見て天王通りで津島街道終着(終点がどこかは不明)。続いて津島市散策マップのゆったりロマンコース4.5kmを歩く。
その前に本町の「魚しま」で昼食。1000円の定食(カツ丼、おひたし、味噌汁、コーヒー)。津島神社は広い境内に立派な楼門に社。町屋建築の堀田家住宅、天王寺公園など見物。

 津島道の道標

 甚目寺観音

 津島神社
  岐阜街道 岐阜街道は四ツ家追分で美濃路と分かれ、一宮宿を通り木曽川を渡り笠松宿から、中山道の加納宿に至りさらに北に進み、尾張藩領の岐阜町に至る街道で、岐阜の方からは尾張藩が長良川で獲れた鮎を鮎鮨にして江戸の将軍家へ献上するため継ぎ送った道で、「御鮨街道」と呼ばれた。    全行程マップ
2011年10月10日(月)

 ウォーキングマップ
  21.3km
清州駅〜四ツ家追分〜一の宮宿
           〜笠松宿〜笠松駅


どこを歩くか迷った結果岐阜街道(鮎鮓街道)に。清洲駅からゴールの岐阜城下までは
28km。一気に歩くか迷う距離だが無理をせず2回で歩くことにして、木曽川駅か笠松駅を目指す。美濃路を四ツ家追分で分かれ、右折してJR線路に沿って北へ進む。追分の道標と赤池の一里塚址の道標以外は旧街道を偲ばせるものは見当たらない。
名神高速道路の下をくぐり大江用水に沿って歩くと、7月にさわやかウォーキングで歩いた妙興寺のそば。牛野通の交差点でさわやかウォーキングのコースを横切り、一宮の市街へ。
本町商店街のアーケードを抜け、真清田神社に参拝。酒見神社は酒造の神様を祀ってある。東海北陸自動車道をくぐると木曽川町。ここもさわやかウォーキングのコースの近くを歩く。
JR木曽川駅の北の踏切と名鉄黒田駅の踏切を越えたところにイオンモールキリオ。昼食を食べようとするがどの店も長蛇の列。あきらめ向かいのうどんや(製麺大学)で缶ビールとカレーうどん。
宝江には渡し跡の石碑は岐阜街道の道標。木曽川橋を渡ると笠松。昔の渡し場の対岸には、いせなごや京みちの道標に港公園の句碑。鮎鮓街道の道標に問屋場跡を見て笠松駅へゴール。

 四ツ家追分の道標

  真清田神社
2011年11月4日(金)

 ウォーキングマップ
  7.9km+4.7km 
笠松駅〜中山道加納宿〜御鮨所跡
             〜湊町〜岐阜駅


眼科が混んでいて恵那発の電車に乗ったのは12時50分。笠松駅到着は14時18分。北上して境川にぶつかる。野田橋は付替え工事中で回り道。外輪橋を越え新しいバイパスを歩道橋で渡り、境川に沿った後名鉄名古屋本線に沿って北上。茶所駅西で中山道と合流。そこからは中山道加納宿を進み岐阜道追分で分かれ再び北上。
名鉄名古屋本線踏切、JRガード、名鉄各務原線の踏切を渡り岐阜公園方面へ。所々に旧家も残り旧街道の雰囲気も残る。益屋町に御鮨所跡の案内板。ここが岐阜街道(御鮨街道)の起点。
さらに岐阜公園から湊町(以前に宿泊した十八楼など)を抜けて、柳ケ瀬を通り岐阜駅へ。結局お昼は食べそびれ。恵那に帰ったのは18時半ごろ。

 中山道と岐阜街道の追分

 御鮨所跡
  岩倉街道 尾張藩公認の下小田井の青物市場に、濃尾平野の北の方から野菜を運ぶ運搬路として、重要な役割を果たしたのが「岩倉街道」。
岩倉から犬山への道は、信長が両脇に柳を植えたことから柳街道とも呼ばれた。
   全行程マップ
2013年1月30日(水)

 ウォーキングマップ
  26.9km
犬山駅〜稲置街道〜岩倉街道分岐点〜岩倉〜中小田井〜枇杷島駅

おだやかな天気の日を選んで岩倉街道を歩く。名古屋から北へ向かう旧街道最後の道。賑やかで便のいい名古屋へ向かって歩く。可児で乗り換え犬山駅をスタート。
本町の交差点で稲置街道に出る。右は犬山城。左折し南へ向かう。すぐ先左手に旧堀部家。江戸時代の武家屋敷で甲冑等の展示があるようだが見学はパスし先を急ぐ。
犬山口駅手前の筋で木曽街道と分かれ岩倉街道を進む。ほぼ名鉄犬山線と並行して進む。扶桑中の脇を通り(旧道が扶桑中で消失)柏森の町に入るとあちこちに柳街道の標識。
岩倉より北を特に柳街道と呼ぶようで、織田信長が城と城を結ぶ道として作り柳を植えたのが由来とのこと。柏森駅でトイレ休憩。オークマの工場より脇道の旧道が断続的に残っている。
力長北の交差点を過ぎ細い道を進むと神社。名鉄ハイキング「布袋」コースで歩いたばかりの若宮八幡宮。南山町の街道の東側に富士塚が残る。5世紀末の古墳。
小折の交差点東の道は勲碧酒造への道。名神高速をくぐり石仏駅を越え岩倉へ。岩倉に近づくにつれ旧家が目に付く。本町角の手前には幡屋中嶋店が2軒並ぶ。幡や纏等を製造販売。
岩倉駅前のイタリアレストラン「DAR FLUTTO」で昼食。パンがおいしく思わずグラスワインも注文。ウォーキング時の昼食としては久々の大当りだった。旧道の戻りすぐ鉤の手。
神明生田神社は山内一豊生誕の地。街道の東には岩倉城跡。しばらく進むと名鉄の踏切(大山寺駅北)。電車待ちをしていたところ突風で帽子を飛ばされ線路際へ落ちた所に電車。結局巻き込まれてひかれてしまった。フィレンツェ土産の帽子だったので残念。五条川を渡り徳重、新川を平田橋で渡り上小田井へ。名鉄、地下鉄鶴舞線、城北線が交差する。
中小田井駅から庄内公園までは、中小田井街並み保存地区となっており旧家や寺社が保存されている。
善光寺別院願王寺の入口には、なぜかインドネシアと韓国の石像が建っている。庄内緑地公園の西より庄内川の堤に登る。堤が護岸工事中。名鉄の踏切を越えると美濃路の道標。
かつてはここが美濃路と岩倉街道との追分。道標の隣に「にしび夢だいこん」の石像。西枇杷島ゴールの予定だったが電車の時刻よりJR枇杷島駅まで足を伸ばす。久しぶり25km超え。

 稲置街道との分かれ道(正面が岩倉街道)

 柳街道の標識

 中小田井街並み保存地区